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八甲田山遭難と観測史上最低気温


 元気象庁職員の新田次郎の「八甲田山死の彷徨」という小説をご存知の方も多いと思います。高倉健主演で映画にもなりました。この小説で描かれた日本軍の八甲田山雪中行軍訓練が行われたのが、ちょうど今から100年前の1902年(明治35年)の今ごろ(健さんが演じた徳島大尉の出発が1月20日、壊滅状態に陥った神田大尉の出発が1月23日)です。

 この時の気圧配置はどうなっていたのでしょうか。 明治35年発行の「気象要覧」には次のように記述されています。 「・・・21日1箇ノ低気圧琉球南部ヨリ南海岸ニ沿フテ北東ニ走リ全国ノ天候又タ一変シタレトモ23日該低気圧は極北東海ニ入リ高気圧部ハ追求シテ天候快復シ寒風旺盛トナリ日本海沿岸ハ雨雪殆ント絶エス29日高気圧部ノ本州ヲ通過スルニ及ヒ漸ク快晴シタリシモ・・・」

 実際に天気図を見るとこのようになっています。

1月20日1月21日1月22日
0120 0121 0122
1月23日1月24日1月25日
0123 0124 0125
1月26日1月27日1月28日
0126 0127 0128

 当時はまだ、外国の観測データは入っておらず、海上の観測もありません。もちろん、アメダスもひまわりもありません。このため、低気圧の記述も現在のようにはっきりしませんし、前線なども描かれていません。それでも気象要覧に書かれているように、低気圧が日本の南岸を21日から23日にかけて通り(スピードが妙に遅いです)、その後冬型の気圧配置となり28日まで続いたことが分かります。

 当時は高層天気図はまだ描かれていないので分かりませんが、非常に深い気圧の谷が通ったと推測され(そのために低気圧のスピードが遅い)、輪島の風などを見ても、日本海にも低気圧がある二つ玉低気圧だった可能性もあります。

 このような低気圧の通過後は低気圧は非常に発達し、強い冬型の気圧配置になります。現代であれば、普通は冬山に登ることを諦める気象条件です。

 冬型に変わった25日の朝、北海道の上川では未だに破られていない日本の観測史上最低の気温を記録しています。気象要覧にはこのように記述されています。 「・・・北海道中部ニテハ未曾有ノ低度ニ達シ氷点下41度ヲ示シタリ・・・」

 最低気温がこのように下がるためには、放射冷却が進むように夜間は晴れる必要があります。強い冬型の気圧配置の場合、上川地方では通常の場合は雪になりますが、上空に寒冷低気圧がある場合、北海道の西岸にはしばしば小低気圧が発生し、雪雲が収束しますが(その雲を帯状雲と呼ぶことがある)、その東側は晴れることが良くあります。

 下の図は冬型の気圧配置のときに、北海道の西岸に小低気圧が発生した時の気象衛星写真と、局地天気図(等圧線の間隔が1hPaであることに注意)、札幌付近では大雪になっていますが、内陸部は晴れているのが分かります。

西岸小低

 また、この日を含む数日間の高層の気温の鉛直時間断面図が下の図です。500hPaではマイナス45℃以下の強い寒気が入っているのが分かります。

寒気ドーム

 観測史上最低気温を観測した1902年1月25日もそのような日だったのではないでしょうか。25日朝の寿都の風速が非常に強いのに対し、札幌ではほとんど風が吹いていないのは、寿都はその帯状雲の西側の強風域にあり、札幌は東側の弱風域にあったためという推論も成り立ちます。

 当時描かれた天気図だけでは、どれほど厳しい気象状況だったことが分かりづらいですので、個人的な推測の域を出ませんが少し補足してみました。

参考文献「北海道西岸に発生する小低気圧の研究」 技術時報別冊38号 札幌管区気象台

「八甲田山死の彷徨」 新潮文庫 新田次郎


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